ブログ説明


早穂理さんは、いのちの森「水輪」を造った塩澤夫妻の娘さんのお名前です。出産時に分娩の医療ミスにより、脳に傷をつけてしまいました。
早穂理さんは歩くことも、話すことも、自分の手で食べることもできませんが、心はみんな解っているようです。そんな早穂理さんの毎日を紹介させて頂きます。
ご感想・お問合せは、メール suirin@suirin.com までお願いいたします。

2019年2月21日木曜日

2019/02/21 母屋での気づき

みなさん、こんにちは!
毎日、寒い日が続きます。
いのちの森の、庭の木々たちも
暖かい春を心待ちにしながら、厳しい冬の寒さに耐えています。

よく見ると、枝の先には、小さな“芽”がついており、
新しい次の季節に向けての準備をしているのが見てとれます。

こちら飯綱高原は、まだまだ、
寒風吹きすさび、雪の舞い散る毎日です。

さおりさんの髪の毛を洗髪し、一緒に髪の毛も切りました。
洗髪・散髪は、プロの鷲尾さんによります。

冬のお客様のいない期間は、
普段できない勉強や、実習をすることで、
通常”簡素”寮に住んでいるスタッフの鷲尾さんが
”母屋”で生活することになりました。

みんなのお食事を作ったり、さおりさんのお食事を習ったり。
さおりさんとの関わりも、
より深くたくさん持つことができるようになりました。

その中で、鷲尾さんが感じたことをご紹介します。

「母屋に来させていただき、気付いたことがありました。
何かエネルギーの渦があって、
そこに巻き込まれて動いている感覚がありました。
今日わかったことは、その渦の中心は、
やっぱりちゃのちゃんだったということです。

ちゃのちゃんを助けるため、
先生方、平岡さん、理恵さんが力を尽くし、
その人たちを助けるため、みんなが自発的に動いていく。

長いはしを持って、お互い食べさせあってる天国の図が浮かびました。
目の前の人を助けようという連鎖は、めぐりめぐって、
実はちゃのちゃんがみんなを助けている。
そんなイメージが浮かびました。

大勢で暮らすことは大変かもしれませんが、
この渦を簡素の皆にも体験してもらったら、
きっと進んで自発的に人を助けようとするエネルギーに
目覚められるのかもと感じました。

簡素には、母屋のように
命を助けなければいけないというちゃのちゃんのような存在がいないため、
母屋のような助け合いのエネルギーの渦ができていないのだと思いました。

その話を平岡さんと理恵さんに話しました。
みどり先生が、母屋と簡素との違いの話を昨日されていたことと、
私が考えていたことが重なりました。

母屋と簡素の違いを埋めるには、
大人数で母屋で暮らす(一緒に暮らさないと感じることは難しい)か、
簡素にもちゃのちゃんのような人がいる必要がある。

平岡さんが私に言ってくれたことは、
皆アップダウンがあり、調子の悪い子、苦しんでいる子を
ちゃのちゃんと思って、皆で必死に助ける。
それをやっていったら良いのだと思うことでした。

9年目にして、「みんながさおり」というみどり先生の言葉が
ほんの少し私のこととして感じるようになってきました。

リーダーが統率をとることが大切だった時代から、
弱いものをみんなで助け、
自発的に人のためになろうというわいてきた思いから動く。
「人に愛されたい」から「人を愛そう」という心が
本当の愛と平和を皆にもたらすのかも。

正しい心だからそうするというだけでは、
おそらく、本質にはたどりつけないのかもしれないと思いました。
魂から湧いてくる愛、平和、調和が
人を本当に幸せにするのだということ、肌で少し感じています。

一ヶ月という間、どのくらい母屋で学びとれるか、
一つひとつ丁寧に、大切に実習に取り組むことを
心がけたいと思います。」